江戸時代のトマト
『花図鑑・野菜』(草土出版)によると、
---日本で一番古いトマトの文献は、1544年に貝原益軒が『大和本草』の中で「唐ガキ」として紹介したもの。17世紀ごろには導入されていたと思われるが、最初はヨーロッパと同様観賞用とされていたようだ---
工場見学で見せてもらったスライドには、狩野探幽の『草木花写生図鑑』(1668年)に「唐なすび」として描かれていた、という一枚がありました。
狩野探幽の絵をネットで探したら、ありました。そっくりでしょう。このトマトを描いたんですね、きっと。
ちなみにその味は青臭くておいしくないとか。やはり観賞用です。
一般的に「トマト」で通用する前は、「唐なすび」、「唐ガキ」、「番茄(ばんなす)」などと呼ばれていたといいます。「唐」はこの場合外国のこと。『広辞苑』にある「南洋から渡来した物にも添えて用いた」例ですね。「番茄」の「番」は南方を意味しますから。「なすび」や「茄(なす)」は、トマトがナス科トマト属だから。つまり、南のほうの外国から渡来したなすというわけです。
トマトが観賞用から食用に変わっていくプロセスは『世界を変えた野菜読本』(晶文社)にあります。
---1800年代半ばになるまでヨーロッパや北アメリカの多くの人々は、トマトには毒があると思っていたのだ---
のだそうです。そして、
---北ヨーロッパの人々がトマトを無視している間に、スペインやイタリアなどの地中海沿岸の人々は自分たちの料理の重要な食材として活用していた---
新大陸アメリカには、19世紀末にイタリアから移民がやってくるようになり、おいしいトマト料理を持ち込んだのです。そして、1876年
---トマトの歴史にとってもう一つの記念すべき出来事がおこった。HJハインツが、商業生産したトマトケチャップの最初の瓶を売り出したのだ---
なるほど。最初はやっぱり南欧。そしてアメリカのトマトケチャップ。日本の生食って独特なのね。
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