里帰りした三河島菜
「三河島菜」については『江戸の野菜 消えた三河島菜を求めて』(野村圭佑著・八坂書房)という本があります。読み返してみると、三河島菜は、コマツナに並ぶ江戸の有名品ですぐれた漬け菜だったことがわかります。
たとえば、こんなくだり。
- 江戸時代には冬に食べる菜っ葉の類は乏しかった。ハクサイやサントウサイは、江戸時代には日本になかったからである。
- 江戸時代も中頃になると、江戸でうまい菜が作られるようになり、有名になった。冬から春にかけて出荷される貴重な青物であるコマツナや冬の保存食の漬け菜とする三河島の菜である。
- 見立て番付の『大日本産物相撲』には、「江戸 小松菜」が、『江都自慢』では、東に「かさかい 小松川のな」、西に「三河島な」があげられている。
- 昭和の初めには「あの人とあの人は三河島の菜だよ」などと会話で使われた。三河島の菜は「良い菜漬け」になることから、「いい菜漬け」と「いいなずけ(許婚)」とを掛けた洒落である。昭和9(1934)年の『大辞典』(平凡社)にも記載されている。
ところが、「三河島菜は、昭和の初め頃までは栽培されていたが、今は絶滅したと思われる」ともあります。
その「三河島菜」が、江戸東京野菜普及推進連絡協議会総会の席に突然現れた、という感じがしました。それにしても、なぜ「仙台芭蕉菜」という名前が出てきたのか。どういうことなんだろう。
そのわけを、江戸東京伝統野菜研究会代表の大竹道茂先生がお話しして下さいました。
大竹先生は、仙台から送られた資料に「仙台芭蕉菜は三河島菜」とあったことから、宮寺さんに仙台芭蕉菜の栽培を依頼したそうです。小平で仙台芭蕉菜が育った頃、先生は、仙台農業改良普及センターに、三河島菜といわれている根拠をおたずねになりました。すると、明治39(1906)年3月発行の『最近蔬菜栽培法』(吉野平八著 仙台養種堂)に「三河島菜、仙台では芭蕉菜と称する」という一文があるという答。仙台芭蕉菜は、江戸野菜の三河島菜が参勤交代とともに仙台に伝わりました。そして、今や彼の地の伝統野菜になっているわけです。
小平で復活した「里帰りした三河島菜」(←このネーミングいいですね)。こんどの冬には八百屋さんに出回るとうれしいな。
▼里帰りした三河島菜は、Tokyo-X との鍋でいただきました。
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