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2011年9月25日 (日)

[野菜の学校](9) 富松(とまつ)一寸空豆

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「これは自慢の品」と、[野菜の学校]9月の講師をしてくださった、ひょうご在来種保存会会長の山根成人さん。

日本の空豆のルーツをたどると、兵庫の一寸空豆に行き着くのだそうです。今から約1300年前、インドのお坊さんがもたらした豆を、現在の尼崎市武庫で栽培したのがはじまり。
昭和20年(1945)前後までは、阪急神戸線武庫之荘駅周辺は全国有数の空豆産地で、隣接する武庫町と富松町の地名をつけた「武庫一寸豆」「富松一寸豆」として流通していました。次第に都市化されるにつれて減っていき、近年はわずかな数の農家が自家用に作る程度になってしまったそうです。この豆を復活させようという動きが始まったのは約15年前です。
目の前にあるこれが昔々日本に初めて入った空豆である、ということが明らかになっており、しかもその空豆がそのまま今も作られているなんて、驚きでした。

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以下は配付資料から
<プロフィール>

  • マメ科ソラマメ属。さやを天に向けて実るので”空豆”、蚕が作るまゆの形に似ているので”蚕豆”と書くこともある。
  • アフリカ北部、地中海、西南アジアが原産という説がある。イスラエルの新石器時代の遺跡からも出土され、4000年前にはエジプトで栽培されていた。日本へは8世紀ごろ中国から伝来した。
  • 天平8年8月聖武天皇の時代(729~749年)にインドの僧侶、菩提仙那(ぼだいせんな)が中国を経て来朝した際、行基上人が摂津の難波津に出迎えた。この時仙那は「王墳豆」を携帯し、上人に与えて栽培をすすめ、上人は摂津の武庫村(現尼崎市武庫)の岡治氏(おかじし)に試作させたのが「一寸空豆」の起源とされている。
  • 戦前、この地域は全国有数の産地となり、昭和30年(1955年)頃には約30haが作付され、重要なタンパク質供給源となっていたが、昭和35年(1960年)頃をピークに都市化により農地が減少し、近年ではわずかに残された農地で自家消費用として細々と栽培されている状況にあった。
  • 現在、歴史的にも貴重な財産である『富松一寸豆』をよみがえらせ、末永く次世代に伝えることにより郷土愛の高揚、農業への理解を通して地域の活性化を図るため、富松神社で『富松一寸豆祭』が行われている。平成9年(1997年)には、地域の農家を中心に『富松豆保存研究会』が発足し、『富松一寸豆』の復活に取り組んでいる。
  • 生産地は尼崎市。
  • 一般的に於多福と呼ばれたが、『武庫一寸』の他に、地名を冠して同種異名の『富松一寸』『尼一寸』などがある。
  • 大粒種に属し、茎葉は大きく、草丈は約1mと高い。花色は紫色や淡紫色。富松一寸は白、莢は短大、子実は2~3粒、粒径3.03cm(一寸)、一粒重は3~4g。

<栄養・効能>

  • 未熟豆108kcal、タンパク質10.9g、炭水化物15.5g。乾物348kcal、タンパク質26.0g、炭水化物55.9g/100g。
  • ビタミンB類をはじめ、カルシウムや鉄分などのミネラル類、食物繊維も多く含んでいる。そのため、昔から体力をつけ、気力を充実させる重要な野菜のひとつとして食べられている。

<基本調理法・料理例>

  • 未成熟の豆は塩ゆで、さやごと焼く、天ぷらなど。
  • 煮豆=「福煮」。乾燥させた保存用の豆を砂糖や醤油でじっくり煮込んだもの。
  • 加工品としてはフライビーンズや煎り豆、お多福豆などの煮豆、お菓子の餡。
  • 調味料として醤油の主原料や、豆板醤の材料に使われている。

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