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2014年12月14日 (日)

野菜の学校(5) 広甘藍(ひろかんらん)

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江戸っ子のスタッフが「シロカンラン、シロカンラン」と言うので、おお、白い甘藍、ホワイトキャベツか、すごいな、と思っていた。広島の呉市農業センターを訪ねたら、「広甘藍」というポスターが貼ってある。あれ? 「シロカンラン」は、広島県呉市広町という土地で作られている「ヒロカンラン」であった。
 
▽呉市農業振興センターに貼ってあったポスター
Photo
 
▼広甘藍

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「甘藍」という名前には「甘い」という字が入っています。その名の通り、これ、甘い。
 
▼配付資料から
  • 広島県加茂郡広村(現・呉市広町)でのキャベツ栽培は明治37年(1904年)頃に始まる、とされる。
  • 当初、品質はよくなかったので大阪からタネを取り寄せて品種改良。大正初期に農家の玉木伊之吉氏がサクセション×バンダーゴーの自然交雑の後代から育成したものが「広甘藍」。
  • 最盛期の大正末ごろの生産は7500トンを超え、東京、大阪、九州、中国の大連にまで出荷。
  • 第二次大戦中は、軍事施設が拡大し農地は縮小、穀物生産が奨励されて生産は激減。終戦後、生産を再開したが、市場ニーズは重量のあるキャベツに移り、1970年ごろには姿を消してしまった。
  • 呉市農業振興センターは種子を保存し続け、地域ブランドとして復活させるために、2010年「広カンラン生産組合」を設立し、栽培を開始。
  • 7月下旬播種、年内に収穫する。
  • 生食中心に利用されている。お好み焼きの材料としても要望がある。
▽広甘藍の畑
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畑でとりたてを食べさせてもらった。みずみずしくて、生で何もつけないで食べるのがいちばんいい、と思った。
 

▼試食

▽生でパリバリ
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▽広甘藍のオイスターソース炒め
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※この記事に、玉木伊之吉氏のひ孫さん、山中ひろみさんが詳しい解説を寄せてくださいました。下方の「コメント欄」を、ぜひご参照ください。
 
 

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コメント

「呉市広」の町おこしです。
明治17年(1884年)の巨大台風と高潮《7尺=2.1m》により、一帯が海の底になった広村は、塩害による凶作・飢饉・借財に苦しんでいました。
当時《明治20年、12才》、カリフォルニアに移住していた矢口亥之吉は、沿岸の塩分のある畑でも元気に育つキャベツを見て、広村を救えるのではと思い立ち、故郷へ種を送りました。
その後、農業指導者・玉木伊之吉により品種改良されたのが広甘藍(ひろかんらん)です。
塩害の土地でもよく育つキャベツは広の一大産品に成長し、海軍は現金で大量に買い上げてくれました。
《日清戦争(明治27~28年)時。日露戦争(明治37~38年)でも軍部に納入した。「朝陽館」に海軍より電話が入り、明治43年頃には、一反(300坪)当り300円/年の収入があった。》
これにより住民は借金を完済、税の滞納者もいない裕福な村となり、国《・県》から模範村《明治40年に県、明治43年に国》として表彰を受けるほどの発展を遂げたのです。

※ストーリーは回覧板で回ってきたチラシや、町内のお店に置かれていたカードより抜粋。
※広まちづくり推進協議会。
※《 》内は、講演会など行われた説明です。
玉木伊之吉のひ孫です。
デタラメを正したいと思って頑張っています。

広甘藍(ひろかんらん)栽培の歴史
http://hirokanran.web.fc2.com/

投稿: 山中 ひろみ | 2015年3月26日 (木) 23時48分

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