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2015年6月15日 (月)

野菜の学校(5) みなべの梅林

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[野菜の学校]で、講座の前に取材した和歌山を報告しました。
案内してくださったのは、今回の講師、東卓弥さん。南部(みなべ)駅で待ち合わせて、梅林へ行きました。
 
▼和歌山から南部(みなべ)へ
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西日本鉄道紀勢本線で和歌山から南部へ。車窓には太平洋が広がっていました。前日の雨で少し濁っている、と東さん。ホントはもっと青いんですね。
 
▼みなべ町立うめ振興館
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みなべ町の歴史から、梅の来歴、品種、梅林のパノラマまで。梅林を見学する前にまず、勉強しました。
平成の大合併で、南部町と南部川町が一つになり、みなべ町が誕生。資料によると「日本一の梅の町を全国に情報発信する拠点」です。
 
▼斜面の梅林
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梅林のすき間から見える青いシートのようなものは、梅を収穫するネット。梅の実はある程度熟してくると、自然に落下します。それを受け止めて、傾斜をコロコロ、コロコロ…。梅園の下の方に転がして集めます。確かにこの急傾斜では、脚立にのって手でもぐのはむずかしそう。南高梅は、果皮が厚めで傷がつきにくいからできるのだそうです。
 
▼害獣よけの高圧電線
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梅園を囲むように張られた高圧電線。鹿、猿が対象とか。どこに行っても、田畑を荒らす野生の動物を防ぐための柵や金網、囲い。捕らえる罠など。以前より目立って多くなった気がします。
 
▼ウバメガシ
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備長炭の材料になる、かたい樫の木。梅林のそばに植えられていました。炭にするにはまだ若すぎ、細すぎ。
 
▼開発された平らな梅林
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造成して作られた平らな土地に、梅の木が並んでいました。記憶が正しければ、西岩代の農地開発パイロット事業をモデルとして整備された梅林。
 
▼西岩代の夜明け
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モデルになったパイロット農地開発事業の梅園を上から見たところ。

西岩代は、かつては小さな谷あいに点在する水田と山を開墾した急傾斜の樹園がある集落でした。1975年から85年まで、10年間かけて開発された造成事業で、急峻な区有林はフラットな農地に作り替えられました。造成地には、 土質にあった梅が栽培され、 農家所得の向上や農業後継者の育成など、 地域活性化に大きく寄与しているといいます。

 
東さんは、運転しながら「あそこが“稲村の火”の広村ですよ」と教えてくれました。が、私は“稲村の火”と聞いても、恥ずかしいことに何のことやらさっぱりわからず。
“稲村の火”とは、紀伊広村(現在の和歌山県有田郡広川村)の庄屋、五兵衛が津波の襲来を知って稲むら(稲の束)に火をつけ、村人に危険を知らせた、という江戸時代の史実に基づいた物語です。偉業を伝える話として、あるいは防災の教えとして教科書にも取りあげられているそうです。
 
「西岩代の夜明け」にも、事業のために個より公の利益を優先させた人の話が伝えられています。そういう物語を語り継いでいくこと。それは人の志を大事にして、未来へつなげていくこと。情報を消費することに慣れてはいけないと思いました。
 
 

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