« 野菜の学校(8) 湯浅なす | トップページ | 野菜の学校(10) 和歌山の実山椒など »

2015年6月19日 (金)

野菜の学校(9) 源五兵衛すいか

1_4

4

「源五兵衛すいか」は、5月のテーマ「和歌山」の主役になってもらいたいと思っていた作物です。でも、講座の日にはぜんぜん育っていないこと、収穫されるものはすべて出荷先が決まっていて[野菜の学校]には分けていただけないことなどの理由から、断念しました。▲写真は源五兵衛すいかの奈良漬け
 

以下は、「和歌山県における伝統野菜栽培の沿革」で紹介されている「源五兵衛すいか」からピックアップした要約です。

  • 「源五兵衛すいか」は、もともとふつうのすいかだが、現在は、花落ち大の実を酒粕に漬け込んだ小すいかの粕漬け「源五兵衛漬け」専用につくられている。
  • 当初は「紀州すいか」の摘果した幼果を利用していたが、粕漬け用栽培のみが「源五兵衛すいか」として残ったものと思われる。
     
  • 品種は以前黒皮種であったと思われるが、現在栽培されているのは極早生で果皮は無地の薄緑色。この品種の起源は不明。大正時代に品種改良が行われたようである。
  • 果肉は赤色で種子が大きく、皮か硬くて厚い。非常に草勢が強い。砂地のような乾燥土で、きわめて少ない施肥量で生育し、無接ぎ木栽培が可能。
  • 源五兵衛漬けの製造は江戸時代から和歌山市で盛んだった。
     
  • 『紀伊国名所図会』(1851)によると、「本町5丁目あたらし屋にて製す。初なりの小西瓜・茄子・瓜のたぐいを家醸の粕漬けとす。本国はさらにも言わず、京・大坂等に日ごとに運送し、江戸にてはことに賞して直に和歌山漬けという」
  • 1937(昭和12)年頃には和歌山市内に製造する店舗が6軒もあり、大阪方面へ塩漬けとして大量に移出する業者も相当あった。
  • 源五兵衛漬けの由来で有力な説は『紀州今昔』(1979)にある。
  • 今から300余年前(ということは1600年代後半)に紀州藩御用商人の酒蔵で杜氏をしていた源五兵衛という人が海部郡毛見村浜の宮へ参拝の途中、布引村のすいか畑で花落ち大の実をみつけ、酒粕に漬け込んだところ「すこぶる高尚な味」がするので、それから研究を積んで紀州名産の粕漬けになった。そこで「源五兵衛漬け」と呼ばれている、というもの。
▼事前取材の写真
現在は数件の農家が、紀ノ川流域の砂地で栽培しています。
「まだぜんぜんできていない」という畑のようすを見学させていただきました。
 
▽源五兵衛すいかの圃場
1_5
 
2_4

和歌山市内の、ここも新しょうがの栽培地と同じ、海に近い砂地です。
 
▽源五兵衛すいかの苗
3_3
 
まだ小さい。すいかは影も形も見えません。
 
▽源五兵衛すいかがいた!
2_5

畑の持ち主、土橋さんの納屋で。
源五兵衛すいかを漬け込む樽に入っているのは、取り引きしている漬けもの屋さんから届いた、去年使った奈良漬けの漬け床だそうです。

 
▽一次加工した源五兵衛すいか
3_4
 
生産農家が一次加工したものを漬け物屋さんに納品し、漬け物屋さんが奈良漬けに加工して商品になります。
 
▽[野菜の学校]の展示
3_5
 
土橋さんに分けていただいた、漬けもの樽の中の「源五兵衛すいか」。
 
六次化が騒がれていますが、和歌山は昔からすいかそのものではなく、「源五兵衛漬け」という加工品を販売していました。「みなべの梅干し」もそうですが、ここには農作物を加工して販売する、六次化の伝統があるといえそうです。
 
 

|

« 野菜の学校(8) 湯浅なす | トップページ | 野菜の学校(10) 和歌山の実山椒など »

グルメ・クッキング」カテゴリの記事

伝統野菜・地方野菜」カテゴリの記事

野菜の学校」カテゴリの記事

野菜・果物の加工品」カテゴリの記事

野菜(果菜類)」カテゴリの記事

」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/125662/61849504

この記事へのトラックバック一覧です: 野菜の学校(9) 源五兵衛すいか:

« 野菜の学校(8) 湯浅なす | トップページ | 野菜の学校(10) 和歌山の実山椒など »