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2015年12月18日 (金)

野菜の学校(9) いもん谷の「食えん芋」

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[野菜の学校]12月のテーマは島根の伝統野菜。講師の島根大学教授小林伸雄先生が、「“食えん芋”といいますが、案外食えるんですよ」と、さといもを持参してくださいました。

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「食えん芋」については、『野菜の博物誌』(青葉高・八坂書房)の「サトイモと石芋伝説」に紹介されています。以下はその抜粋。
  • 島根県松江市大野町の芋谷と呼ばれる谷に小さな井戸と石地蔵があり、その井戸に「弘法芋」、俗に「大野の食えん芋」と呼ぶサトイモが自生している。
  • 他の石芋と同様、弘法大師と欲深い老婆との言い伝えがあり、老婆の捨てた芋が芽を出し、それが今日まで生き続けているといわれる。
  • 井戸というのは小さな泉で、水の流れはみられないが、水が涸れることはないという。
  • サトイモの形態は、長野県沓掛温泉の石芋(弘法芋)に類似している。耐寒性は強い。
  • ・『大野郷土誌』によると、恩田清氏は、この芋を『出雲風土記』に記されている芋草(いも)、芋菜(いえついも)とし、さといもの原種ではないかと推定している。
弘法大師と欲深老婆の石芋伝説は、各地に残されています。
 
老婆がいもを洗っていると、みすぼらしい身なりをした旅の僧が通りかかり、いもを無心した。欲の深い老婆は、「かたくて食えない」(または「えぐくて食えない」)と断った。するとその芋は石のようにかたくなった(または舌が曲がるほどえぐくなった)。旅の僧は弘法大師だった。
 
石芋伝説が何を物語るか。青葉先生は佐々木高明氏の考えを紹介し、次のように述べています。
 
平均気温が現在より2~3℃高かった縄文時代前、中期前半に渡来した原始型のサトイモが、東日本までも伝わり、広く分布したが、その後縄文晩期から弥生時代にかけて平均気温が現在より1度程度低くなった時期に、その多くは絶滅し、温泉地や湧き水のある場所など、生育条件に恵まれた地のサトイモだけが残存し、その後も生育を続け、石芋、弘法芋などと呼ばれて現在も生育を続けているものと推定することができる。
 
自分の目の前にあるさといもが、大昔から続いてきた、まさにその「食えん芋」であるという不思議。それを食べて、自分の体の一部にしてしまうという体験。太古につながっているという感動に、心がふるえます(って、最近よく見かける。これでしょうか)。
 
▼試食は、ゆでて
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「食えん芋」はそれほどかたくもえくぐもありません。でも、今のさといものような、ねっとり感やしっとり感はありませんでした。
 
 

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