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2017年2月 8日 (水)

ねぎフォーラム

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NPO野菜と文化のフォーラム主催「ねぎフォーラム」に参加しました。3つの講演のほか、各種苗会社が出品したねぎの食べくらべがありました。
最初の講演は「ネギ栽培の歴史及び品種・作型の分化について」。講師は農研機構の若生忠幸さんです。
 
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以下、若生さんのお話から、ピックアップ。
<原産地・由来>
  • 原産地は南シベリア、中国北西部、モンゴルなど。アルタイねぎが自生している地域とされる
  • 「アルタイねぎ」は現在のねぎと近縁の野生種で、冬期は休眠するが、地下部は生きている。
  • 中国の在来ねぎには、冬に地上部が枯れて休眠するタイプと、冬も青々と生長するタイプ(葉ねぎ)がある。
  • 中国では紀元前から栽培。さまざまな書物に登場する。
<日本での栽培史>
  • 日本に入ってきたのは5世紀
  • 冬休眠するタイプはより厳しい寒さに耐えることができる⇒日本の寒冷地に適応し、「根深ねぎ」として利用され、発展した。
  • 冬にほとんど休眠せず、生長するタイプ⇒日本の温暖地に適応し、葉ねぎとして利用され、発展した。
  • 寒冷地に適応したのは「夏ねぎ型」で、「加賀群」として北日本に定着した。主に根深ねぎ。
  • 温暖地に適応したのは「冬ねぎ型」で、「千住群」として関東で発達した根深ねぎと、「九条群」として西日本に定着した葉ねぎがある。
<日本のねぎ品種>
  • 千住ねぎは、明治初年頃までには栽培が盛んに行われるようになり、金町(現・東京都葛飾区)では特産の根深ねぎになった。その後、分げつしない一本ねぎに改良され、昭和になり作型が分化した。
  • 九条ねぎは、約1000年前から東九条村(現・京都市下京区)を中心に栽培。明治35、6年頃から、現・大阪府堺市で多収系統分離、大正時代に「奴」を育成。戦後「九条太」「九条細」「三州」などに分系。
  • 愛知の「越津ねぎ」は、九条と千住の交雑により成立。
  • ねぎの地方品種は、全国に存在する。
<ねぎの育種>
  • 1960年代までは、農家による自家採種が一般的。品種改良は自然交雑からの集団選抜が多い。
  • 1970年後代半以降は、種苗会社が育種をにない、品種間交雑からの集団選抜が主流となる。農作業の機械化に貢献する改良。葉ねぎは、千住黒柄系と九条系との交雑が中心。
  • 1990年以降は、細胞質雄性不捻を利用したF1品種育成が加速。目標は機械化栽培体系の確立に対応。
  • 2000年以降は、F1品種利用が8割以上。地域性や食味のよさを重視した品種も登場

▼タネ屋さん自慢のねぎが並びました
▽武蔵野種苗園「吉宗」
7686
 
▽サカタのカネ「夏扇現行」
7658
 
▽タキイ種苗「ホワイトソード」
7697
 
▽横浜植木
「龍ひかり」
7679
 
「龍まさり」
7683
 
▽トーホク「関羽一本太」
7659
 
▽カネコ種苗「あまねぎ」
7674
 
▽みかど協和「冬の宝山」
7729
 
▽こと京都「九条ねぎ」
7694
 

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