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2019年1月14日 (月)

今が旬! 海苔の美味しいお話

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歌舞伎座3階で開かれた、歌舞伎座×ちくま大学「大江戸味ごよみ 江戸の食文化にひたる」に参加しました。「大江戸味ごよみ2019」に江戸野菜のコラムを担当することになったご縁です。

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今回はその7回目。山本海苔店取締役副社長山本泰人(お名前の正しい漢字は異体字)副社長の「今が旬! 海苔の美味しいお話」をうかがいました。
 
そのなかで記憶に残ったことをあげてみます。
  • 海苔の旬
    お話のタイトルは「今が旬!」です。一年中ありますから、意識していなかったのですが、海苔の旬は冬なんですね。
    海苔ができあがるまでのプロセスは、なかなか複雑です。
    海苔のタネは、「殻胞子」と呼ばれる微小胞子です。春になるとオスとメスの細胞ができ、やがて発芽して「糸状体」になり、貝殻に穴をあけて入り込み、その中で夏の間成長します。10月になると養殖開始。海苔網に糸状体の入った貝殻をつけて海面に広げ、殻胞子の放出を待ちます。海苔網に殻胞子がちゃんと付着したことを確認し、育苗、干出して、11月に収穫、加工されて、板海苔になります。
  • 海苔は二毛作
    海苔芽が3~5㎝くらいに育つと、網の半分は冷凍庫に入れて冷凍保存。12月末に海に張り、1~3月に収穫。こうして海苔は2回収穫されています。
  • 海苔は「運草(うんぐさ)」
    「海苔」は古代から食べられてきたと考えられています。はじめて書籍に登場するのは700年頃の「常陸風土記」。そして海苔の養殖は,なんと江戸時代から始まっていたのです。ただ、海苔がどうして「わいてくる」のかわからず、昔の人たちはとても不思議に思っていました。
    養殖といってもカンや経験だけが頼りで、採れたり採れなかったり、生産高は非常に不安定。運がよければたくさん採れる、というので「運草」と呼ばれました。縁起物として扱われ、今でも「運が訪れますように」という願いを込めたおめでたいギフトとして使われ、神さまへのお供えにも多く利用されています。
  • 海苔の3大発明
  1. 海苔をすくテクニック
    18世紀後半、江戸・浅草で盛んだった再生紙をすく術を海苔に転用して登場したのが板海苔。「海苔巻き」が流行し、海苔は大人気の食材になります。ちなみに、「浅草海苔」という名前にも「浅草和紙」と同じ製法に由来するという説がある、といいます。
  2. 味つけ海苔の誕生
    「味つけ海苔」というと、私などがイメージするのは、ビジネスホテルクラスのバイキング朝食。「味のついた海苔らしきもの」ですが、出自は由緒正しかったことがわかりました。
    山本海苔店2代目山本徳治郎は、かの「千葉道場」で剣豪山岡鉄舟と稽古仲間だった。というところから、いろいろなお話が始まるのですが、これはそのなかで最もやんごとなき一件。鉄舟は明治天皇の側近として仕えていました。陛下が京都ご還幸のおみやげに、徳治郎が創案した江戸醤油で味をつた海苔が採用された。それがこんにちの「味つけ海苔」のルーツ、というのです。以後、ずいぶん庶民的になったわけです。
  3. ドリュー女史の発見
    かつて海苔は海の中で自然に「わく」と考えられ、養殖といっても自然まかせで生産量は非常に不安定でした。1949年、イギリス人藻類学者キャスリーン・メアリー・ドリュー・ベーカー女史が海苔の生態を解明し、事態は一変します。海苔の胞子は夏に貝殻に潜り込んで糸状体に生長し、秋になると貝殻から出て、海を浮遊する、という生長プロセスがわかり、これを利用して、海苔の胞子を人工的に育てて養殖する方法が考え出されました。
    当時、水質汚染や台風の打撃を受けて危機的状況にあった日本の海苔養殖産業は、ドリュー女史の発見によって復興したことから、今も「海の母」として尊敬され、熊本県宇土市には海苔漁民による顕彰碑が建てられ、功績をたたえる「ドゥルー祭」が開かれます。

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