八百善江戸東京ツアー 向島編・続々
「大江戸味ごよみ2019」に登場する江戸の料亭「八百善」ゆかりの土地を、博覧強記のみなさんからうんちくをうかがいながら歩こう、という街歩きシリーズ「八百善江戸東京ツアー」向島編。
「向島」といえば江戸野菜の「寺島なす」です。どこかで何かに会えるといいなぁと思っていたら、見つけました。白鬚神社の鳥居をくぐると右側に「寺島なす」の案内板。江戸東京・伝統野菜研究会の大竹道茂先生が尽力されて設置されたものです。
それだけではありません。白鬚神社は、今回のツアーのキモとなる、「八百善」との特別な縁がありました。
今回の街歩きの目的地はここ、「白鬚神社」です。というのも、ここには、八百善四代目福田善四郎が寄贈したという狛犬がいるからです。
文化12(1815)年春、四代目八百屋善四郎は、商売繁昌、千客万来を願って、駿河屋市兵衛、松葉屋半左衛門との3名でこの狛犬を寄進したそうです。台座の裏側には「八百屋善四郎」「駿河屋市兵衛」の名が刻まれています。
八百善のホームページによると、八百善の起源は農家だったそうです。その農作物を商う八百屋になり、さらに四代目の文化・文政時代には江戸を代表する料理屋になりました。
白鬚神社に設置された「寺島なす」の案内板には、以下のように記されていました。●江戸・東京の農業 寺島ナスかつて、白鬚神社の周辺は寺島村といいました。元禄郷帳(1688~1704)によれば、この地域一帯は、水田を主とする近郊農村であったが、隅田川上流から運ばれてきた肥沃な土はナス作りにも適し、ナスの産地として、その名も「寺島ナス」と呼ばれていました。享保20年(1735)の「続江戸砂子温故名跡志」には、「寺島茄子 西葛西の内也。中の郷の先、江戸より一里余」とあり、「夏秋の中の嘉蔬とす。」として、江戸近郊の名産であることが記され、また、文政11年(1828)の「新編武蔵風土記稿」には、茄子として、「東西葛西領中にて作るもの」として「形は小なれどもわせなすと呼び賞美す」とナスの産地だったことを示しています。農家は収穫したナスを船を使って、千住や、本所四ッ目、神田の土物店(青物市場)等に出荷していました。江戸時代、悠々と流れる隅田川の東岸。田園地帯であった寺島に、後世に伝えるに値するナスの銘品があったのです。
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