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2019年6月17日 (月)

大江戸味ごよみ 6月17(月)寺島なす

筑摩書房刊の日めくりカレンダー『大江戸味ごよみ2019』に、伝統野菜プロジェクトとして書いたコラム。6月17日(月)のテーマは「寺島なす」です。

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寺島とはいまの墨田区東向島。かつてこの周辺では、「他の産に比すれば最も早し」と初物好きの江戸っ子に喜ばれた「寺島なす(品種は‘蔓細千成’)」が作られていた。江戸東京・伝統野菜研究会代表の大竹道茂氏は、その種をつくばのジーンバンクから取りよせ、第一寺島小学校に食農教育としての栽培をはたらきかけて、2009年に復活させた。

▼寺島なす
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「寺島なす」は、現在もっともポピュラーななす「千両2号」と比べると、やや小ぶりで、コロンとしています。果皮と果肉はちょっとかため。漬けものよりは、揚げたり、炒めたりするほうが得意課目のようです。

かつて、昔から東京にあった野菜として知られていたのは「練馬だいこん」「谷中しょうが」「金町小かぶ」くらいだったのではないでしょうか。伝統野菜が注目され始め、「立川うど」「後関晩生小松菜」「亀戸だいこん」などが加わります。そして2019年、「寺島なす」が登場した。これはエポックメイキングでした。物語や文献のなかにしか存在しなかった野菜が、目の前に食べられるものとして出現したのですから。このとき「江戸東京野菜」は新たな認知を獲得した、というか、フェイズが変わり、新しいステージに入ったように思います。

江戸東京・伝統野菜研究会代表の大竹道茂先生は、「寺島なす」に続いて、数かずの江戸東京野菜の発掘と復活に力を入れておられます。2019年4月現在「江戸東京野菜」に認定されている野菜は50品目。東京オリンピック・パラリンピックを迎え、都も東京のおもてなし食材として「江戸東京野菜」に力を入れている、と聞きます。

▽寺島なすの料理
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「食べて知る」がコンセプトの[野菜の学校]では、ごま油を使ったしょうゆ味の炒め煮「田舎煮」を試食しました。

▼畑の「寺島なす」(2012年6月末・三鷹市)
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▼東向島駅前のプランター
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「寺島なす」を育てるためのプランターとして作られたようですが、撮影した4月はまだ、なすの気配はありません。

▼白鬚神社にある農業説明板「寺島なす」
▽白鬚神社
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▽農業説明板
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この説明板は、「寺島なす」復活の5年前、1997年に農業協同組合法施行50周年を記念して、大竹道茂先生の尽力により、「江戸・東京の農業」ゆかりの地に設置されたもの。大竹先生のブログによると----その設置場所だが、農家は、豊作を祈願し、収穫を感謝するのは、年の初めの祈年祭、豊作を祝う秋祭りでも分るようにゆかりの地の神社だったことから、東京都神社庁の理解をいただき、都内の神社等にお願いし、設置させていただいている----とのことです。

説明板は以下のように伝えています。

 かつて、白鬚神社の周辺は寺島村といいました。元禄郷帳(1688~1704)によれば、この地域一帯は、水田を主とする近郊農村であったが、隅田川上流から運ばれてきた肥沃な土はナス作りにも適し、ナスの産地として、その名も「寺島ナス」と呼ばれていました。
 享保20年(1735)の「続江戸砂子温故名跡志」には、「寺島茄子 西葛西の内也。中の郷の先、江戸より一里余」とあり、「夏秋の中の嘉蔬とす。」として、江戸近郊の名産であることが記され、また、文政11年(1828)の「新編武蔵風土記稿」には、茄子として、「東西葛西領中にて作るもの」として「形は小なれどもわせなすと呼び賞美す」とナスの産地だったことを示しています。
 農家は収穫したナスを船を使って、千住や、本所四ッ目、神田の土物店(青物市場)等に出荷していました。江戸時代、悠々と流れる隅田川の東岸。田園地帯であった寺島に、後世に伝えるに値するナスの銘品があったのです。

 

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