埼玉県「比企のらぼう菜」
3月7日(土)に開催するはずだった、伝統野菜プロジェクト主催のセミナー「のらぼう菜と仲間たち」は、新型コロナウイルスの感染拡大による影響で中止。1年後の春に開くことになりました。事前に進めていた「のらぼう菜」の取材、忘れないようにメモしておきます。
「のらぼう菜」は、江戸時代後期に代官・伊奈忠宥が地元の名主に命じて江戸近郊の12村にタネを配布した、という記録が残る野菜です。そのおかげで、天明・天保の大飢饉の際、人々は飢餓から救われたといいます。
現在、この系統が、埼玉県、東京都、神奈川県で、それぞれの伝統野菜として栽培されています。そこで、この3地域の「のらぼう菜」を比較してみよう、ということになりました。これが、今回のセミナーのテーマです。
まず、埼玉県の「比企のらぼう菜」。いつもお世話になる岩瀬登志男さんがご案内くださいました。岩瀬さんは、ときがわ町大野の標高700メートルにある「ファーム700」で、クリスマスローズのすばらしいコレクションをはじめとする数々のお花、もちろん「のらぼう菜」も生産している方です。
「比企」は、平安時代の『延喜式』に武蔵国の郡の名前として登場する、由緒ある地名です。武蔵国比企郡(現在の比企郡と東松山市)は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけて、藤原秀郷の末裔を称する豪族・比企氏の領地でした。
2004年、旧都幾川村(現ときがわ町)の古民家で、江戸時代中期に代官が農民にのらぼう菜の種子を配布し、作付けを奨励した古文書が発見されました。これをきっかけに、自家用として細ぼそと作られていた「のらぼう菜」を、幻の伝統野菜として復活させる取り組みが、県によって始まりました。
地域を代表する特産物にするために重要なことは、まずタネです。自家用に作られていた数種類の系統を試験栽培して、「比企のらぼう菜」として統一。さらに、バラツキを安定させるために自家採種を禁止し、採種担当農家を決めて、優良系統の選抜・維持を図っています。
生産量を増やすために、生産者の組織「のらぼう菜栽培会(現・JA埼玉中央のらぼう菜部会)」が作られました。農林振興センターによる実証栽培をもとにした栽培カレンダーを共有し、農家ごとにある昔ながらの勘による栽培ではなく、「比企のらぼう菜」としてのクォリティを保つことに力を入れています。
「比企のらぼう菜」の現在の生産地は、ときがわ町、嵐山町、小川町、滑川町、東松山市など、比企郡内7市町に広がり、各地の直売所だけでなく、市場にも出荷されています。「比企のらぼう菜」は、伝統野菜が夢見るサクセスストーリーそのもののようです。
取材は2月初旬。ときがわ町玉川地区、柴田沿之佑さんの畑は緑色のネットで覆われていました。「これはヒヨドリ除け。ヒヨドリはおいしいところを知っている…」と柴田良子さん。畑の奥の木立にはヒヨドリの群れが騒がしく、こちらのようすをうかがっているみたい。なんか、人間はかなわない気がする。
良子さんは、おいしそうなわき芽を折って、試食させてくれました。そう、これが驚くほど甘い。早春の葉茎が含んだ朝露をいただいているようでした。
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